「みちづれ」や「友禅流し」、「夫婦きどり」などのヒット曲で知られる演歌歌手の
「牧村三枝子(まきむらみえこ)」さんをご存じですか?
父親の死に起因する病気から立ち直って、今も歌手活動を続けている牧村さんの過去から現在の様子をご紹介したいと思います。
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牧村三枝子プロフィール

出典:http://okmusic.jp/
:生年月日 1953年12月21日(2016年7月現在 62歳)
:出身地 北海道美唄市
:本名 千葉 美恵子
:血液型 A型
:ジャンル 演歌歌手
:活動期間 1972年~2002年、2004年~
:事務所 サンミュージックプロダクション
:趣味 絵を描くこと
:特技 フラフープ
略歴
・牧村三枝子さんは、北海道美唄市で炭鉱労働者である父と母の家庭で5人兄弟の末っ子として生まれました。
苦しい家計を助けるために、中学卒業と同時に上京し、釣り具販売店に就職する傍ら、1972年に入学したサンミュージック・タレントスクールを経て、「少女は大人になりました」でRCAレコードから歌手デビューしました。
・1976年1月に放送されたテレビドラマ「大都会ー闘いの日々ー」にレギュラー出演をしています。
同年3月には、ポリドール(現在のユニバーサルミュージック)へ移籍し、同作挿入歌「赤提灯の女」を発売しています。
・1978年12月、同じレコード会社の先輩歌手である渡哲也の曲「みちづれ」を牧村さんの強い希望によりカバー・シングルとして発売しました。
この曲は発売枚数100万枚を記録し、彼女の最大のヒット曲となったのはいう間でもありません。
・その後も「夫婦きどり」、「あなたの妻と呼ばれたい」、「友禅流し」などのヒット曲を出 しています。
・NHK紅白歌合戦には1981年から1984年まで4年連続で出場しています。
・この後はこれといったヒット曲も無いまま1984年6月にトーラスレコードへ、2000年3月にはバップレコードへ移籍しています。
・1997年、父親の死が引き金となり酒量が増えたことなどから、2002年ころに肝硬変と食道静脈瘤を発病したため、約2年間歌手活動を休業し、闘病生活を経て2004年に活動を再開しています。
出典:http://www.jogr.co.jp/
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エピソード
牧村三枝子さんは、末っ子として生まれたため、お父さんから溺愛されて育ったそうです。
しかし、お父さんの仕事は過酷な仕事のため40歳後半になると働くことができなくなり、一家7人は狭い長屋での暮らしを余儀なくせざるを得なくなってしまいました。
そんな生活から抜け出すため、牧村さんは歌が上手なこともあり、歌手になって家族の生活を楽にしてやろうと高校には行かず東京に出たのだそうです。
歌手デビューはしたものの、これといったヒット曲に恵まれず生活は苦しかったのですが、苦しいながらも僅かながらの仕送りは続けていたようです。
そんな生活が続いたある時、渡哲也の「みちづれ」という曲を聞き、彼女は衝撃を受け「私が歌いたいのはこれだ!」と直感し、渡に直談判し許可を取ることができました。
それにつけても、渡さんの懐の広さを感じさせる話ですよね。
それは、牧村さんが「みちづれ」を歌ったときに、この曲は渡哲也が歌った「みちづれ」だと言われないように自分のレコードを廃盤にしてくれたのだそうです。
本来この歌は、歌詞からも解るように「男」の唄なのですが、女性である牧村さんは何故この歌に執着したのでしょうか。
ここは是非聞いてみたい部分ですよね。
※7月27日(水)テレビ朝日ひる12:00からの「徹子の部屋」に牧村三枝子さんが出演します。
歌手復帰の力を与えてくれたのが「徹子の部屋」だったといわれる理由が公表されるかもしれません。
お時間があったら是非ご覧ください。
彼女はこの「みちづれ」で1979年、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞しています。
19歳でデビューしてから苦節8年27歳にして花が開いたわけですね。
そして32歳の時に、家族のために念願のマイホームを建てることも出来ました。
しかし、幸せな生活は長くは続きませんでした。
彼女が45歳の時、最愛のお父さんが亡くなります。
これが原因で彼女は酒に溺れるようになってしまいました。
その後これといったヒット曲も出ていなかったのも一因かもしれませんね。
肝硬変と食道静脈瘤で2002年から2004年まで入院闘病生活をするのですが、入院時に担当医から「余命は5年」と宣告され、「自分はあと5年しか生きられないというよりも、このまま5年も生き続けなければならないのか」と絶望的になったと述べています。
ところが、闘病中に演歌歌手仲間の小林幸子や北島三郎、山本譲二、細川たかしらからの激励のメッセージ入りカセットテープを聞いたことで、病気に打ち勝ち、歌手として復帰する意欲と力をもらうことができたそうです。
また、彼女は現在まで独身を通していますが、その理由は「結婚したい男性はレコード会社の先輩であり、「みちづれ」をプレゼントしてくれた渡哲也さんか、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ」だそうで、それは21歳の頃にこの二人と出会ってからは、他の男性に一切目が行かなくなったからだそうです。
今の活動は?
病気を克服し、歌手活動を再開している牧村三枝子さんは、サンミュージックプロダクションに所属しながら、全国をまわって営業活動をしています。
最新の情報を知りたい方は、サンミュージック公式プロフィールをご覧ください。
最新の営業情報が載っています。
まとめ
貧しい家庭環境から一念発起し、歌手となり苦労しながらもヒット曲も出すことができた牧村三枝子さん。
家族のためにマイホームを建て、親孝行をすることも出来たのに、ある意味自分の心の弱さから病気になってしまったのでしょうか。
辛いことがあっても、手を差し伸べてくれたのは同じ演歌歌手仲間でした。
人生には楽しいこと苦しいこと、山あり谷ありは付き物ですね。
人間は一人だけでは生きられない。周りの人の支えがあって生きているのだということを肝に銘じて日々努力することが大切なんですね。
病気に打ち勝ち、歌手活動を再開している牧村三枝子さんには、これから一花も二花も咲かせるよう健康に留意して頑張ってほしいものですね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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