吉椿雅道さんとはどんな方なんでしょうか?
彼は現在、神戸のNGO「CODE海外災害援助市民センター」に所属し、インド洋大津波、中国四川大地震など34を超える国や地域で活動を展開しており、特に政府からの援助が行き届かない災害弱者支援で高い評価を得ている団体において、その陣頭指揮を執っている人物です。
ここでは、そんな吉椿さんがボランティア活動に取り組むようになった経緯や、家族、収入などについてお届けしたいと思います。
<スポンサーリンク>
吉椿雅道さんについて
吉椿雅道プロフィール
:1968年生まれ
:福岡県出身
:家族 妻は斉藤容子(中越災害の際のボランティア活動が縁で結婚)
:出身大学 不明
:※「CODE海外災害援助市民センター」に所属し、現在は事務局長
※以下はCODE海外災害援助市民センター概要の引用です。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災では、世界70あまりの国々から支援を受けました。その後、「困ったときはお互いさま」の想いから、世界各地の災害を支援しようと市民による救援活動が活発化しました。
神戸の経験と知見を生かし、幅広い知恵や能力を持つ企業、行政、国際機関、研究機関、NGOなどを含めた市民の集まる場として、2002年1月17日にNPO法人として発足したのがCODE海外災害援助市民センターです。
CODEは前進となる阪神大震災地元NGO救援連絡会議の時期も含め、これまで51回の救援活動を行ってきました。「最後の一人まで」の理念を胸に、「寄り添いからつながりへ」人間復興となる救援を実践しています。
<スポンサーリンク>
ボランティア活動を始めたきっかけから現在まで
吉椿さんは、大学在学中に阪神淡路大震災が発生し、これをきっかけに本格的に活動を始めたようです。
更に、在学中には、東洋医学(整体)の勉強もされていたようで、生来「何か人の役に立ちたい」という強い気持ちを持ち続けていたようですね。
以後、国内外あらゆる被災地に出向き活動してきましたが、ちなみに今の奥さんと活動中に出会ったのが新潟の中越災害の時で、これがご縁でご結婚されたそうです。
そして、子供さんは二人いらっしゃいますね。
現在 吉椿さんは、ネパール地震(この地震で9000名近くが亡くなっている)で被災した「グデル村」という山村でシェルパ族のコミュニティーを通じて、耐震の住宅再建プロジェクトを行っているそうです。
どんな支援方法をしているのかというと、「CODE」の活動理念にもあるように、「被災者の声」に耳を傾け、何が本当に必要なのかを探り出し、復興するまで「継続して支援」して行くことに重点を置いている所です。
この姿こそが、世界中から高い評価を受けている所以のようですね。
最後に、私見として言わせていただくなら、最近「ボランティア」という言葉だけが先行しているような気がします。
「どこそこの被災地に行って後片付けの手伝いをしてきた」という話を聞きますが、確かにこれもボランティアに違いありませんが、吉椿さんのようにあえて支援の手が届きにくい場所に行き、そこの被災者の声に徹底的に耳を傾け、何が本当に必要なのかを探る支援手法を実践している姿こそ、「真のボランティア」ではないでしょうか?
国の支援は、どこそこの被災国に○○億円を提供したという話で終わってしまいますが、お金も確かに大事ですが、人と人が繋がり交流が続くことで、絆が生まれる。
これこそが、世界の平和につながるのだと思います。
なお、3月14日(月)の午後10時よりNHK総合「プロフェショナル 仕事の流儀」で吉椿雅道さんの特集があります。
この中では、CODEの活動や吉椿さんの詳しい活動内容を知ることができると思います。
本当のボランティアとはどういうものなのかが、ご理解いただけると思います。
最後までお読みいただき有難うございました。
<スポンサーリンク>